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レポート

Report

せんもんいんとあるこうin下ノ加江レポート

10月13日に行った「せんもんいんとあるこう  in下ノ加江」のレポートです。 

案内人は、今井専門員。
この日のテーマは「下ノ加江港はどうしてできたのか?」
下ノ加江港はメジカの水揚げ量が多い、市内屈指の漁港です。
漁港周辺の土地や下ノ加江河がどのようにできて、変わってきたのか?
歩きながら探っていきます。

10時、下ノ加江の浜の入り口に集合して、まずは、下ノ加江の浜へ。 
下ノ加江の浜は下ノ加江川の河口からできた砂州となっています。
下ノ加江港はこの砂州と対岸にある観音崎に守られて、波の影響を受けにくい場所となっています。


秋空の下、荒涼とした砂浜が広がります。
夏が終わった後のこんな浜辺はいいですね。
心に風が吹き荒ぶ、センチメンタルな風景です。 

それから、浜辺の堤防に沿って、下ノ加江川の河口まで移動。 

河口からまちを眺めて、観察。 

干潟の向こうに下浦の集落があります。 

そこから上流の小方地区にある下ノ加江遺跡は縄文から近世までの各時代の遺物が産出されています。現在、土佐清水市内の遺跡では、縄文時代からずっと人が住んでいたことが確認できる唯一の場所です。
近くには「船場」や「船倉」といったかつての港の名残である地名が残り、川を中心に発展したことが想像されます。
また、河口付近には「松ヶ島」「上島」「三島」と言った小字名もあり、かつては中州が広がっていたことがうかがいしれます。
もともとの下ノ加江の中心は船場や小方といった、現在の中心地である河口よりも上流付近にありましたが、天然の良港があったことから、近世以降、河口の下浦地区などが発展していきます。現在の下浦地区の港付近は埋め立てられて整備されていきました。
江戸時代の人口は清水の現市街地などよりも多かったらしく、たくさんの人が住んでいたようです。

それは、きっとこの川があったおかげでしょうね。

遠くから、地形を見た後、歩いて橋を渡り対岸へ移動。 

こちらは埋め立てられてできた新しい港。


通りも比較的新しい建物が並びます。 

一本内に入った通りが、昔のメインストリートで、そちらには、昔の長屋なんかが今でも見られます。 

歩いて、観音崎と言われる海成段丘地形の麓まで移動。

こちらの港が昔からある下ノ加江の港です。
江戸時代から同じ位置にあります。

観音崎と集落の背後にそびえる長笹山に続く山の間の窪みの地形を利用して波をよけ、港がつくられています。
この窪みには、このあたりの地層が関係しています。

地層がのびる方向や傾きは、下ノ加江港を境に異なっていることから、長笹山と観音崎との間に断層が通っていると考えられます。
断層の部分では、岩と岩がこすれ合ってボロボロになってもろくなります。
そのため水で削られ、窪みができます。
そこに海や川から運ばれてきた土砂がたまって低地ができます。
この低地を利用して、港がつくられました。

ここで、今井専門員からまとめ。 

【まとめ】
○下ノ加江港は観音崎と成長する河口砂州に守られた波静かな良港。
○中世以前は上流の小方周辺が中心地で、港もその付近にあった(船場・船倉)が、土砂の堆積や埋め立てなどによって、江戸時代以降は現在の位置に町と港がつくられたと考えられる。
○下ノ加江港は、断層が作った低地の湾入部を利用して作られている。

随分遠くまで歩いてきましたが、また、対岸へ戻ります。

帰りは違う道から、一本奥に入ったかつてのメインストリートを歩きます。 

石垣や、漆喰の塀が見られる趣きのある通りで、商店や病院、薬局などもあり、かつての賑わいが感じられます。 

集合場所の下ノ加江の浜まで戻り、本日は解散。 

下ノ加江地区には、田んぼに川、砂浜、干潟、港、古い町並みといった色んな風景が広がっていました。 
歩いて、立ち止まるといつもは気づかない地域の魅力が目に留まります。

歩くことって素晴らしい。 
そんな90分でした。 

本日のルート

 

掲載日:2018年10月18日

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